至らないこと

週末の夜である。

未だに、研究のテーマすらまともに絞ることが出来ず、頭を抱え、そして考えすぎによる疲労でふらふらと、家の中をベッドまでの道を歩く。

逆立った神経が、おそらくカフェインによる作用か何かで、足から顔面までよくわからないぴりぴりとした痺れを感じさせてくる。

 

歳をとったということは、それだけ時間を食ったということである。

そして、自身に足りないところがあると感じるのであれば、食っただけの時間に見合う栄養をそこから得てこなかったというだけのことである。

回り道をし、本来の目的を見失い、遡ることによる特権的地位から過去を評価し、そして今に苦しむのである。

 

自身の知見のなさを呪う。

何故学ぶべきものを学ばずに過ごし、そして今なお、それが続くのか。

 

いつなんどきも、道がわかることなどない。

闇雲にあたりをつけ、喜び勇んでそこに足を踏み入れ、泥沼と気づき、退散しようとし、もう手遅れであることを知る。

そしてそれを繰り返す。

 

己の不覚を恥じる。

未だ何一つ確固として信じるものもなく、この先に続く道に迷いなく挑むことのできない心に、苛立ちを知る。

 

そしてそれだけのことがただ続いている。

せめて、せめてという言葉がこだまするのに、それに続く、追い求めるべき何かは出てきてはくれない。