有意義な休日

昨日は休日1日を使って、掃除、復習、電子化等の作業を行った。

中では、以前に行った英語の語学留学ノートの復習ができたことは、特筆に価する。

気づきの点がいくつかあったので、以下に簡単に書き留めておく。

 

・週に1度休日を必ずとり、掃除や片付けを行うと精神的衛生上も効果的。

・電子化は一気にやる方がよい。小分けにやると、手間と時間がかかる上に、気持ちの面でも負荷がかかる。

・朝1で語学の音声をかけてひたすら聞くと、頭の立ち上げに資する。

・ノートの復習を行うときは、ノートを眺めて、脳内に残っている追加的な情報や、不明点に対する調査結果等を記してそのまま電子化するのがよい。いちいちワードファイルに打ち込むのは大変効率が悪い。ノートは手書きの形式の方が情報量が多い為頭にも入りやすい。ワードでノートをとるなら最初からワードでとること。

・勉強の際には定期的に、対象物に対するアプローチを研究するとよい。例えば昨日は英語学習に関して、音読やシャドーイング、通訳の方々の訓練方法を調査し、関連情報を収集した。

 

 

短くとも、長くとも

一日をまた、穏やかに過ごすことができた。

ゆっくりとだけれど、不明な箇所を解消して、そして、覚えたいものをファイルにまとめ、そういう風に記事を読んで過ごせた。

 

少し仕事の関係で上司と話すことがあったのだが、その際に、余計な持論の展開をしてしまい、反省した。多くのことは語らず、ただ相手の話を聞く、ということを改めて意識していくべきだろうと思っている。

その他、問われそうなものは可能な限り早めに時間を見つけて、潰しておかねばとも思った。俺の場合は、旅行と方言、そして政治、経済、文化、宗教に関する知見の強化だ。

 

一日一日過ぎていくことを、痛く感じないのは、とても不思議な心持ちを連れてくる。

まやかしであることも、一時の気休みでも、今このときだけは、目の前にあるものだけは、真実なのだと思う。

どんなものでもいずれは消える。ならばその長短に、あまり拘泥しないでいられたらなと、言い訳じみたことを考えながら、それでも穏やかに過ごせた一日に感謝して眠る。

褒め言葉に苦しむ

今日は気づかされることがあった。

言い訳や逃げ道ばかりを探して、物事に全力であたっていなかった自分を恥ずかしいと思った。

せめて、どこかしらで区切りをつけるということになるまで、ちゃんと目の前のものだけでも、真摯に向き合わねばと思った。

 

 

区切りをつけて

今日は新しいパソコンを使っている。

予備機とはいえ、たまには使ってやらないと良くないだろうと思い。

 

今日は一つだけ物事が進んだ。

実際には達成するべきものも、成果も何も掴めたものなどないのだけれど、それでも

何か物事を進められるだけで気持ちは前に向くのだなと思った。

 

小さい区切りを繰り返して、行けば大きい何かにもそう困らずに挑めるのかもしれないと思う日だった。

 

記憶と理由

記憶というのは深夜急に思い出される。

そのときは、忘れもしないことのように感じられるのに、目が覚めると全て砂浜に描いた文字のように、波にされわれてしまうようだ。

 

今の俺には理由が必要で、せめてもう一度と、祈るだけのすがるような気持ちが必要だ。

 

あともう一回だけ、頑張らせてほしい。

もう身体が少しずつダメになってきているのを分かった上で、あと一度だけ。

 

そして、ちゃんと思い出させてほしい。

これまで何度も失敗をしてきたことを。

そもそも、俺がいまこうしていること自体不思議なことなんだ。

今更、偉ぶったり、自分の理想で塗り固めようとしても、過去は消えたりしない。

その意味を、書き換えて、いつかの自分の方を叩いてやれるように、そして、

大丈夫だ、といってやれるように俺はがんばってきたんだろう。

 

なら、折れることも負けることも、受け入れた上でそれでも前を向いて踏ん張っていないといけない。

 

一人の人間のことをこうして思い深く書くことになるとは思いもしなかった。

けれど、思い出してそれが大切に思えるのが人間なのだと、そう感じる。

 

君は変な奴だった。

プライドが高く、変な踊りを踊り、そしていつもペプシコーラを飲んでいた気がする。

あとにもさきにも名前に偏差値をつけられたのはあれきりだった。

俺のはどれくらいだったっけか。下の名前を普通より少しよいような数値で褒められた気がする。

 

俺は人生をやり直そうとしていた。

それまでの全てを取り戻して、自分の失ったものを数えては拾いあげるような日々を送ろうとしていた。

家族のことを、大切に思った女性のことを、そしてうつむいて涙を飲んでいた自分を。

 

ただ一つ人生を変えるような動きがあったからといって、

人間はそう変わらない。努力をしてみても、すぐに化けの皮は剥がれる。

 

何故君はそんな俺を評価してくれたんだろうな。

さん付けで俺の名前を呼び、俺を馬鹿にするやつらを、俺の良さをわからない馬鹿だと言った。

 

活路を切り開くにあたり、俺は一番に君に相談をした。

ハンバーグを食いながら、いつもの調子で、話をし、そして率直にダメなところを指摘してくれて、それから、君は人を紹介してくれた。

そういう意味で、俺が踏ん張っていた頃の一番の起点は君だったよ。

 

色々な失敗をしても、自分の本来の性質が露呈してやっぱりうまくはいかなくても、

それでもなんとか俺は自分の目的を完遂した。

 

そのとき、君がこういってくれたことを俺はよく覚えている。

もう一度やり直せるのだと思えたと。

 

俺は嬉しかったよ。

昔の自分の背中を叩いてやれたような気がした。

 

でもしばらくして、君は少しずつ自信を失って、いつものうそぶくような感じじゃなくなった。弱気になっているのを見て、いつも挑んでいるのでなければ、それは俺の友人ではないと、俺は言った。

 

そして、その次の年が明けて、最後に俺が誘ったとき、体調が悪いからまた良くなったら遊んでくれと言って、君はいなくなった。

 

ただこれだけのことだった。

 

至らないこと

週末の夜である。

未だに、研究のテーマすらまともに絞ることが出来ず、頭を抱え、そして考えすぎによる疲労でふらふらと、家の中をベッドまでの道を歩く。

逆立った神経が、おそらくカフェインによる作用か何かで、足から顔面までよくわからないぴりぴりとした痺れを感じさせてくる。

 

歳をとったということは、それだけ時間を食ったということである。

そして、自身に足りないところがあると感じるのであれば、食っただけの時間に見合う栄養をそこから得てこなかったというだけのことである。

回り道をし、本来の目的を見失い、遡ることによる特権的地位から過去を評価し、そして今に苦しむのである。

 

自身の知見のなさを呪う。

何故学ぶべきものを学ばずに過ごし、そして今なお、それが続くのか。

 

いつなんどきも、道がわかることなどない。

闇雲にあたりをつけ、喜び勇んでそこに足を踏み入れ、泥沼と気づき、退散しようとし、もう手遅れであることを知る。

そしてそれを繰り返す。

 

己の不覚を恥じる。

未だ何一つ確固として信じるものもなく、この先に続く道に迷いなく挑むことのできない心に、苛立ちを知る。

 

そしてそれだけのことがただ続いている。

せめて、せめてという言葉がこだまするのに、それに続く、追い求めるべき何かは出てきてはくれない。

掃き溜め

夜はくそくだらないことばかりが頭に浮かぶ

こんなものもうできやしねぇって思わされて、おかしくなりそうだ。

 

やってもやっても、自分の思うものはいつも多すぎるし、大きすぎる。

第一、どこへ行こうとして、何をしようとしているのか、それが自分でもよくわかっていないのに、自尊心に振り回されて、そればかりが大きくなって、首を絞めてくるから参ってしまうんだ。

 

投げ出すことはいつでもできるからと、そう言い聞かせてやってきたけれど、

投げ出さないことで何が変わるというのだろうか。

 

自己満足でしかない、この惰性だけでできているような日々を、いつか吹き飛ばすことができるのだろうか。何か新しい、明るい何かは現れるのだろうか。

 

カフェインを詰め込んで、とにかく眠気をはらす。

そして、なんでもいいから、読んで、答えを探す。